来年度、もぐらの冒険ファミリーの長男は小学校1年生になります。
我が子、初めての、義務教育がスタートです。
先日、就学前検診も終えました。
学校を、親子共に楽しみにしています。
さて、学校教育に我が子が関わるようになると、
改めて、学校教育について考える日々です。
例えば運動会。
大きな笛を鳴らして起立させること、
ただの勝ち負けに振り分けること、
みんなと同じように動けること・・・
などなど、これってなぜ教育現場で大切にされ、当然のように行われているのでしょう?
なぜ必要なことなのだと、答えられますか?
先日、友人に、
「娘のクラスでは、お行儀よくしている子から名前を呼ばれて、
名前を呼ばれた子から給食の準備ができるんだって」
という話を聞き、はらわたが煮え繰り返る思いをしました。
食事はだれにでも楽しむ権利があります。
その食事を、「ご褒美」のようにしていいのでしょうか?
「お行儀を良くしている子」をその場面で振り分けていいのでしょうか?
「できない子」はどうなるのでしょう?
もうすぐにでも小学校に確認の面談に行きたい思いです。
学校教育のあり方を、ひとつひとつ丁寧に考えてみてください。
「いい」「悪い」の話ではありません。
「なぜそうなのか?」「なぜそれが現場で大切にされているのか?」
「なぜだめなのか?」「どうしてそう考えるのか?」
学校の先生たちは、問うたらきっと答えてくれるはずです。
納得できるまでやりとりをする権利(もうここは義務かな)が、わたしたち親と教師にはあります。
考えることを放棄してはいけません。
こどもにも、自分で考え、自分で選択する権利があるように、
おとなもそれを行わなくてはなりません。
「義務教育」とは、こどもが学校に行く義務ではありません。
親が、こどもに教育を受けさせる義務を持っているということです。
それはつまり、その教育のあり方を考えるのは、おとなの義務ということです。
学校に通うこどもと関わるおとなのみなさん、
学校教育を通して、こどもの権利、人権について、もう一度じっくり考えてみませんか。
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