自分で得ること

開催中、

「ビー玉焼きたいんだけど」

という声を何度もかけられました。

”やってあげる”のは違う。

”教えてあげる”のも違う。

でもこの面白さを知ってもらいたい!!

だから、

実は関わりに悩んでいました。

 

開催3日目。

少年2人が朝一番に「ビー玉焼きたいんだけど」。

その時はまだ火がついていなかったので、

「火をつけたらできるね」とだけ声をかけました。

1人の少年は、前日も来ていたので、

やり方も、その面白さも、もう知っている、と思ったから。

 

「火、つけていいの?」と少年。

「許可」を得ることが習慣になっているのですね。

「もちろんいいよ!」と私。

 

火をつけるときには安全のために水を!を思ったのでしょう。

井戸のところに行って、水を汲もうとしていた少年たちは水遊びに夢中。

しばらくして、水を汲んで火を起こしに向かったのでした。

 

焼くのに2分、水で冷やすのに1分

というのが少年たちの研究結果で出た

「焼きビー玉がきれいにできるコツ」のようでした。

きれいにできるまで、

「割れちゃった」

「黒くなっちゃった…」

と『失敗』を重ねていた少年たち。

「こうしたらできるよ」と言ってしまうのは簡単だし、

「危ないよ!」と止めるのも簡単だし、

「これとこれとこれが必要だよ」と全部準備してあげるのも簡単。

でも、それをしていたら、この「研究結果」はなかったでしょう。

あとから来た人たちに、その成果を伝授する、うれしそうな少年たちの笑顔もなかったかもしれません。

私にとっては、とても感動する、考えさせられる出来事でした。

 

あなたは、どう感じますか?